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更新日:15年09月17日

私と戦後70年のいま



上 村  保

遠い記憶

「神風特別攻撃隊の人たちが『天皇陛下万歳!』と言って死んでいったなんていうのは嘘です。みんな『お母さん』といって死んでいったんですよ」。中学校の理科の授業時間に女性の先生が発した言葉です。目を伏せがちに自分にも言い聞かせるような話し方でした。授業の途中にどんな思いがあって、そう言われたのか、その前後のことは覚えていません。戦争に関する知識などない私に新鮮に響いた言葉でした。成人して、知覧特攻記念館に行ったとき、先生の言葉を確認することができました。

さかのぼる小学校3年生のとき、クラスの友達が廊下で、両手を腰にあて「アンポ、ハンタイ」と小走りしていた姿が記憶に残っています。当時の世相の反映だったのでしょう。

社会に関心を持ち始めた頃

社会の出来事に関心や疑問を持ち始めたのはやはり青春期、高校時代に入ってからです。一年生のとき、生徒会長立候補者の公約で始まった日刊紙の発行に関わることになりました。ガリ版と鉄筆で毎日日刊紙を発行する。「公約は守られない」、「3日も続けばいいほうだ」と冷やかされたそうです。しかし、発行は9年間ほど続きました。その日刊紙のほとんどが今も同窓会館に保管されています。当時の高校生がどんなことに関心や疑問を持っていたのか、それを知る手掛かりとして幾つかタイトルだけを紹介します。

  •  教室に蛍光灯を
  •  体育大会になぜ日の丸の旗が必要なのだろうか?対立する賛否両論!
  •  沖縄問題の重要性を認識し校内世論を高めよう―沖縄問題討論会より
  •  高校生の自治―東京教育大学付属高校との交流会より
  •  エンタープライズ寄港とわが校の改革
  •  「平和」と「自治」を重んずる校風を育てよ
  •  退学処分が何になる
  •  オリンピックに国境なし(※一九六八年メキシコ)
  •  安保問題、沖縄問題 私たちにとって70年とは
  •  祖国復帰を願う沖縄を見て
  •  米軍基地の築城移転に訴える―豊津高校生徒会より
  •  アメリカ軍事基地に思う
  •  総理大臣を告訴する
  •  無視された公務員の権利、我々は10・8公務員ストにどう対処すべきか
  •  高校長着任拒否闘争は意義があったか?
  •  私たちの近くの差別―朝鮮学校の生徒一家
  •  映画「一人っ子」連載にあたって―戦争はいやとなぜ言ってはいけないのか
  •  卒業式を生徒会の手で[1ヶ月連載]
  •  暴力のあるところに教育は存在しない
  •  A君処分反対運動
  •  指導部へ公開質問状
  •  先生、僕たちは話し合いたいのです
  •  自由と権利を支えるものは
  •  高校生の存在とは―11・22を前にして(※11・22は一九六九年十一月二十二日、当時の佐藤栄作総理が訪米した日)

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「高校生の存在とは」は私の寄稿です。高校生は敗戦から得た平和と民主主義を担う未来の国家の形成者であること、高校はそれに相応しい必要な能力をあらゆる学習と経験を通して育成していく場所でもあることなどを述べ、「高校生は未熟だから、まだ政治に関心をもたなくてよい。勉強に専念しなさい」という声に対して、「『国民主権の主人公に相応しい力量を身に付けた人間になるための準備期間」であり、「『教え子を再び戦場に送るな』と言われる先生方の積極的な正しい指導を望む」、「僕たちは何も知らない、確かに未熟だ。だからといって無関心であってはならないと思う」などの問題意識を提起したものでした。

いま振り返れば、いろんな問題や悩みを抱えながらも、戦後の民主主義教育の中で、先生と生徒が生き生きとしていた時期だったのかと思います。卒業後、お会いした何人かの先生から頂いた「君たちがいた頃が一番良かった」との言葉はお世辞ではなく実感をともなったものだったと思います。

ひょんなことから、半世紀近い時を超えて、今年の高校の文化祭に特別参加する機会に恵まれました。当時の日刊紙を生徒や校長先生にも見ていただき、「毎日発行する情熱、まさにpassion! 良いものを見せていただきました」「感動いたしました。長い伝統があるからこそ歴史を垣間見られた」「社会の悪や人間の矛盾に対して拙いけれど本気のメッセージを発していた」「なつかしい!現役時代にはそこまで気にしていませんでしたが凄いです」などの感想が寄せられました。

今年、18歳選挙権の実現

本稿のテーマで自分史に絡めて日刊紙のことを少し長めに紹介した理由の一つは、今年成立した十八歳選挙権のことに関連づけて考えたかったからです。

今年は安保法制を巡って世代、階層の違いを越えた反対の運動が広がっています。

八月初めに高校生だけで五千名のデモが実施されました。十八歳でも物事をきちんと考えている人たちがいる。世界ではすでに百七十の国で十八歳選挙権が実施されています。歴史的な目で俯瞰すれば、十八歳選挙権の実現は、戦後、女性の参政権が実現したように民主主義の発展に叶った出来事だと思います。

戦後70年―総理談話を考える

安倍総理の戦後70年「総理談話」は村山談話に比べて約3倍の文字数、三千三百~三千四百字を費やしています。しかし、その中に「わたし」という言葉は一回も出てきません。村山談話では三回出てきます。そのうちの一つがよく紹介される「植民地支配と侵略によって、…私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」という部分です。
これに対し安倍談話では「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。」となっています。

(因みに安倍談話には「私」の複数形である「私たち」という言葉が十三回、「我が国」という言葉が七回出てきます)
「首相自らの言葉としては語らない欺瞞に満ちている」(日本共産党志位委員長)「過去のおわびを引用するずるいやり方だ」(アメリカの政府関係者)と批判を受ける所以です。

談話について、私なりにポイントと思われる個所を以下に抜粋してみました。

  1. 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が広がっていた。
  2. アジアにも押し寄せた植民地支配の波、その危機感が日本の近代化の原動力となった。
  3. 日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた。
  4. 経済のブロック化の中で日本は孤立感を深め…行き詰りを力の行使によって解決しようとした。世界の大勢を見失って…戦争への道を進んでいった。
  5. そして、七十年前。日本は、敗戦した。
  6. 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきた。
  7. あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない。
  8. 敵として熾烈に戦った米国をはじめとする多くの国々から恩讐を超えて善意の手を差しのべられた。そのことを、私たちは未来へと語り継いでいかなければならない。
  9. 私たちはその価値を共有する国々と手を携えて「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献していく。

日露戦争は他国への侵略の勢力争いであり、その後、朝鮮併合(大韓帝国滅亡)という植民地支配によって、「勇気づけた」とする日本への期待は失われており一面的に美化する見方には同意できません。

平和について否定するものは誰もいません。問題はそのためにどうするかです。日米の軍事同盟を強化することが、戦争の抑止に貢献すると唱える安倍総理の「積極的平和主義」は抑止とは反対の軍備増強であり、現に進行している国家予算を含めた軍備増強は際限のない軍拡競争に陥る危険を孕んでいます。外交は「価値を共有する」国々に限定するものではありません。「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたち」には戦争の歴史と教訓、事実の断片ではない本質を語り継ぐ時代的役割を忘れてはいけません。

戦争法制反対の声が大きく広がる二〇一五年の夏

憲法前文にある「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きないようにすることを決意」することが、私の六十四年の人生の中で今年ほど切実に感じる時期はありません。戦争法案を必ず廃案にせねばと思います。本音を隠す安倍総理は自らの著書で「アメリカとの血の同盟」を謳って次のように語っています。「アメリカが攻撃された時、日本の青年も血を流さないと完全なイコール・パートナーとは言えない」。国会で「国民の生命・自由、幸福追求の権利を守るため」と繰り返す説明や答弁とは裏腹に、ここにアメリカにすり寄る安倍総理の本音があります。

国民の生命・自由、幸福追求の権利を守るというなら、憲法九条こそ守るべきです。

「戦争しない国」の宣言こそ、外交における世界の信頼の保証です。今年こそノーベル平和賞受賞で憲法九条を世界中に光り輝かせたいものです。

私と戦後70年のいま、「敗戦から得た平和と民主主義を担う未来の国家の形成者」も、早、老境に入りましたが、平和憲法に守られてきた私たちの自由と平和と民主主義を今度は次の世代へ必ず引継いでいかなければと思う二〇一五年の夏です。

(二〇一五年八月)
(福岡市南区 在住)

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