戦後70年企画 1995年9月に発行 「語り継ぐ未来へ」私と戦後50年 ピックアップアーカイブス

語り継ぐ未来へ 私と戦後50年 九州機関紙印刷所刊「語り継ぐ未来へ…私と戦後50年」は1995年の夏、戦後50年を迎えるにあたって平和をゆるぎないものにするためには、私達自身の「出発点」「原点」を見つめなおし確認することから始めなければならない、との思いから戦争と平和にまつわる体験と想いを寄せていただきまとめたものです。
九州機関紙印刷所の呼びかけにこたえて58人の方から作品が寄せられました。
今回は、8月15日の終戦記念日まで、その作品のなかからいくつか紹介していきます。

「語り継ぐ未来へ」私と戦後50年

● 15年08月03日 「語り継ぐ未来へ」私と戦後50年

昭和二十年のこと

谷口義光  もう五十年も前のことなので日時・場所などさだかでない。 元満州、チチハル中学三年。昭和二十年六月五 […]

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● 15年08月03日 「語り継ぐ未来へ」私と戦後50年

『空襲警報』の日々

星野ふみ子  〝欲しがりません勝つまでは〟〝御国の為に我が身を捨てて〟といった文句が、『陸軍少年兵募集』のポス […]

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● 15年08月03日 「語り継ぐ未来へ」私と戦後50年

壮大なドラマに 〝直接手を触れるものとして〟

伊藤好信 今年のことである。 春の陽気が心地好いある日、訪れた友人は「知らなかったよ。伊藤君。君が坊主とは!」 […]

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● 15年08月03日 「語り継ぐ未来へ」私と戦後50年

戦争体験者の八月十五日

諌山博 五十年前の八月十五日を、私は沖縄県の宮古島でむかえました。学徒出陣から三年近くたったころで、陸軍主計少 […]

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● 15年08月03日 「語り継ぐ未来へ」私と戦後50年

〝平和への想いこめて〟 =戦争孤児になった弟と妹にめぐりあえて=

深谷節子 〈私の家族の戦争体験〉 五十年前、私は中国の大連市に住んでいました。父は日本では職がなく、五族協和、 […]

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● 15年08月03日 「語り継ぐ未来へ」私と戦後50年

お前、日本人か!~戦後五十年の原点~

五島田耕一 昭和二十年十二月二十六日夜、台湾台北市。その日私は、友人と映画を観ての帰り、雑踏にまぎれて一人で、 […]

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● 15年07月04日 「語り継ぐ未来へ」私と戦後50年

一週間の戦争

森 明   (一)一九四五年八月九日のこと (1) 一九四五年八月九日は私は二十三才でした。「下城子 […]

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● 15年07月04日 「語り継ぐ未来へ」私と戦後50年

「赤紙」ならぬ「白紙」での犠牲者 ― ある徴用工の五十年

 藤田 賢治   私がその人、井田(仮名)さんを知ったのは十五年前、市立若松病院の一室であった。 そ […]

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● 15年07月04日 「語り継ぐ未来へ」私と戦後50年

私の戦後体験

黒川一昭   (一) 一九四五年八月十五日、私はその日を奉天と安東の中間、周りを樹木は殆どない山で囲 […]

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● 15年06月20日 「語り継ぐ未来へ」私と戦後50年

いま始まった「私と戦後」

澤 幸男  「『戦後』は、どの戦争の後なのか」と、屁理屈の好きな私は「戦後すぐの生まれか」と問われる度に聞き返 […]

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