更新日:25年07月30日

「祖父の死‐通州事件-」



嶽村 久美子(75歳) 福岡市中央区  ふくおか健康友の会

「祖父の死‐通州事件-」

 

 私の祖父。一人は熊本市で町医者として多くの人に尊敬された生涯でした。
母方の祖父甲斐厚(特務機関)は1937年(昭和12年)7月29日未明に起った「通州事件」で亡くなりました。40歳。7月7日には日中戦争のきっかけとなった《盧溝橋事件》が起こっています。政府は盧溝橋事件を受けて臨時閣議を開き、事件不拡大方針を決定します。祖父は7月12日付けで遺書を残しています。妻(35歳)と12歳の長男を頭に生まれたばかりの四女も含めて。冒頭には、「(略)今次盧溝橋事件に因を発したる北支事変(略)一身をなげ出して陛下に忠節をぬきいでむは之男の本懐之有るがためにこそ今日ある所以なれば」と続き、祖母には「将校婦人として不動の覚悟あるを平素より敬服しなり」長男には「将来忠臣孝子たつ可き素養あると認めあり」と記しています。8月10日の読売新聞には、大きな見出しで“折あらば怨を晴さん”胸うつ作文「父の戦死」天津小学校で悲涙綴ると書かれ、長男の“僕も立派な将校に”と、長女(私の母)“いくら大きな聲で呼んでも返事はしてくださいません”の作文が二人の写真と共に掲載されています。末尾には、甲斐中佐(亡くなって昇格)の慰霊祭の告知が記されています。

 私がこの事実を知ったのは最近です。家には、白馬に乗った軍服姿の写真があり、「日本に帰って来る時は天皇陛下と同じ様なお召列車で、熊本駅はすごい人だかりだった」靖国神社に写真や辞世の句があり、「肥後の甲斐ここにありと言って亡くなった」が母から聞く思い出でした。

 広中一成氏が2016年に「通州事件-日中戦争泥沼化への道-」を出版。2017年には「通州事件-80年目の真実」が出版。赤黒の表紙には、≪中国人による許されざる蛮行‐それは日本人虐殺を目的とした同時多発テロだったのか≫の文字がおどっています。その後、東京新聞記者の取材を受け、色々な情報をお聞きし、真実は何処にあるのか?と知りたくなり、祖父の履歴を取り寄せて防衛研究所戦史研究センター史料室にも行きましたが資料は少しだけでした。ネット記事では「当時通州は傀儡政権である冀東政権が治めていました。200人以上の日本人朝鮮人居留民が殺害された事件ですが、8時間位の応戦です。通州事件も他の多くの戦争犯罪と同様に、軍事的合理性を人権に優先した結果の悲劇と言えると思います」と記載されています。熊本での大歓迎、お涙頂戴の新聞記事など、この後の侵略戦争への筋書きが見えてきます。

 朝ドラ「あんぱん」が始まり、様々な真実が語られています。正しい戦い等ないのです。今年は戦後80年。「知らなかった」で済ませてはいけないと、祖父の事を手記で残すことにしました。祖父は、村一番の出世で賢く文学青年だったそうです。自分の物語を紡ぐことなく亡くなった祖父の意思を無駄にしてはいはいけないとこの事実を心に留めています。

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