戦後70年企画 1995年9月に発行 「語り継ぐ未来へ」私と戦後50年 ピックアップアーカイブス

語り継ぐ未来へ 私と戦後50年 九州機関紙印刷所刊「語り継ぐ未来へ…私と戦後50年」は1995年の夏、戦後50年を迎えるにあたって平和をゆるぎないものにするためには、私達自身の「出発点」「原点」を見つめなおし確認することから始めなければならない、との思いから戦争と平和にまつわる体験と想いを寄せていただきまとめたものです。
九州機関紙印刷所の呼びかけにこたえて58人の方から作品が寄せられました。
今回は、8月15日の終戦記念日まで、その作品のなかからいくつか紹介していきます。


更新日:15年06月10日

『侵略戦争』はなんのために



甲斐原有

時事通信社

時事通信社

「オウム眞理教」の麻原彰光が捕えられた時、麻原はサリン事件のことで質問され、麻原は「私は目が見えないのでそんな事出来るわけがないでしょう」と答えた。

私はこの男の責任感と良心を疑い腹立たしく感じた。全く宗教家としての資格もなく全くのエゴだ。今から五十年前の七月二十六日にポツダム宣言が出て、八月六日広島、八月九日に長崎に原爆が落とされ合せて二十万人以上が殺されても、國体護持を考え宣言受託をしなかった昭和天皇も全くエゴだと思う。

その後、八月十五日を過ぎても責任をとって退位してお詫びをしない昭和天皇、こんな人間を現人神と尊崇し、死んで行った爾臣民も、又生きている爾臣民も、オウムの信者と同じくマインドコントロールされていたのだ。

今、尚五十年目の八月十五日に事もあろうに靖國神社に参拝した閣僚が九名も居たとは、そんな党派の為に國会の五十年決議が曲げられ、國民はアジア各國の眞の友好が結ばれない現実、國民は迷惑しているのです。

それでも社会党の村山首相が八月十五日に戦没者慰霊祭にほんの少しつっこんで侵略戦争について詫びたのが各國では少し好感された位で戦後五十年目の八月十五日が終った。

私は、戦後四年間シベリヤに抑留された。始めは食う事と寒さと自由のなさに俺達は何故こんな目に合うのかを考えて見た。それは収容所内での天皇制打倒と将校達に対する軍國主義打倒の闘いにつぐ民主運動になった。復員してこのかた、保守政党が多数を占めている。そして金権腐敗が続いている。

考えて見れば、明治維新とは何だったのか。鎖國が解け、藩閥がなくなり、その代り天皇になっただけで、近代的封建制で人の上に人を作らずではなく、人の上に人を作り、その人を神様としただけで、欧米文化が入ったが、神仏混合が廃仏毀釈で國家神道になり、富國強兵になり、資本主義の中で原料と市場の為に遅れて列強並みの植民地を作って行った。

その手法は列強のそれより強引であった。私は七十一年前に南朝鮮に生まれたが、武断政治の跡があったが、それを語る日本人は居なかった。

全羅南道に無等山という高い山があり、その中復にお寺があり、そこには独立運動の韓國の人達と日本の官憲軍隊との戦いがあり、弾痕が沢山あったが、それを詳しく語る日本人は居なかった。良心が疼くのであったろう。

この八月十五日、韓國ソウルで旧日本の朝鮮総督府の建物を壊し始めたが、その総督は皆軍人の将官である。それも景福官と言われる日本で言えば宮城である、それの正門を尻にして建てられている。全く民族の伝統歴史を無視したものである。それにもまして丁度百年前に日本の公使三浦悟桜中将は公使館付武官や大陸浪人「漢城新聞」社長安達謙蔵らと画策し、一八五五年十月、訓練隊二個中隊、日本軍守備隊一個大隊、公使館員、領事警察、在留日本人らは、大院君を擁して王宮に進入し、関妃を殺害した。

これは直ぐに世界に知れわたったが、明治政府は三浦公使を解任したが、これに参加した八十名の日本人は広島に召還され、軍法会議にかけられたが、いずれも無罪、免訴とされ、誰一人罪を問われなかった(丸山静雄著日本の70年戦争)こうして、日露戦争に日本が勝利したあとは力を頼み、力に驕り、相手側を無視し、主権も何もあったものでなく、政治的抑圧、経済的搾取、文化的隷属を三つの柱として植民地政策は行われた。

この過程の中で植民地で味を占めた陸軍は満州事変、日中戦争と膨張主義、軍國主義と侵略の歩を進め、リットン卿の警告も無視し國際連盟も脱退し、独伊のファシズムと手を結び、大東亜戦争へと発展した。これは反ファシズムとの戦争で第二次大戦と言われている。あの戦争は明かに侵略戦争であるが、今まだ世襲制で無批判盲従の近代の中の封建制に追随し、マインドコントロールから醒めない保守政党の為に日本の民主主義は中途半端である。科学文化の発達と共に私は思想の発展もあると確信するものです。それはオウムの残した教訓から学ぶことも出来ます。日本の保守政党は欧米とは特殊です。人工衛星の発展と共に変り方は早いと思いますがあなどらず闘って行かなければと思う今日この頃です。

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